Masuk
人通りはなく、いくつかの街灯が点っているだけ。
「理玖はスマートフォンで津久井浜駅周辺の地図を表示する。
――コンビニ……。 駅からほど近いコンビニなら、何かを買っているかもしれない。 そう思い立ち、理玖は走り出した。店内に客の姿はなく、アルバイトらしき店員が商品棚をぼんやりと眺めていた。
「すいません。妻を探しているんだが」スマートフォンを取り出したところで、凜の写真を持っていないことを思い出した。
服装や髪型、背格好。思いつく限りの特徴を伝えたが、店員は「見てないです」と首を振るだけだった。「他に、今営業している店はないですか?」
店員はわずかに考えて、「ないですね」と返す。理玖が津久井浜に着いた時には、午前二時を回っていた。 駅前の駐車場に車を停め、駅に駆けた。 人通りはなく、いくつかの街灯が点っているだけ。「凜!」 駅舎に向かって叫んでも、返ってくるのは反響した自分の声だった。 理玖はスマートフォンで津久井浜駅周辺の地図を表示する。――コンビニ……。 駅からほど近いコンビニなら、何かを買っているかもしれない。 そう思い立ち、理玖は走り出した。 店内に客の姿はなく、アルバイトらしき店員が商品棚をぼんやりと眺めていた。「すいません。妻を探しているんだが」 スマートフォンを取り出したところで、凜の写真を持っていないことを思い出した。 服装や髪型、背格好。思いつく限りの特徴を伝えたが、店員は「見てないです」と首を振るだけだった。「他に、今営業している店はないですか?」 店員はわずかに考えて、「ないですね」と返す。「分かりました。ありがとうございます」 理玖はコンビニを飛び出し、海の方へ駆け出していった。――なんでこんな場所に。 そう問いかけるほど、嫌な想像が胸の中で渦を巻く。 そのたびに、菜央が凜から受け取ったというメッセージを思い出す。『治療費は絶対なんとかするから』――だったら、死ぬつもりじゃない。――そうだろ、凜。 細い路地を抜けると、堤防が見えてきた。「凜!」 深夜であることなんて考える余裕はなかった。 スマートフォンのライトを頼りに波打ち際へ寄る。 どれだけ目を凝らして周囲を見渡しても、ただ暗闇が広がっている。 理玖は波打ち際に沿って歩き出した。 やがて足元が砂に変わった。だが、どれだけ歩いても人影は見えない。 革靴に湿った砂が入り込み、擦れた踵が痛みだす。「凜……」 何度も名前を叫んだ喉が|枯《か
希美への通話を切った後、菜央から着信が入っていたことに気付いた。 時刻を確認する。 菜央との通話を終えて凜のバイト先の店長と話している頃だった。 すぐに折り返す。 二回コール音が鳴り、菜央が出た。「何か分かったのか」『ちゃうわ!』 スピーカーから響いた菜央の怒号に、一瞬スマートフォンを取り落としそうになる。「……何を怒ってるんだ」『凜が出ていったのって、あのアカウントの投稿が関係してるんやろ』「……恐らく」『恐らく? あんた、うちが凜と最後に電話した時、あの子なんて言ったか分かってんのか!』「なんと言ったんだ……?」『理玖が何とかしてくれるって言ってるから大丈夫って、そう言ったんやで!?』 返す言葉が出なかった。『それで安心したうちが馬鹿やったわ』「……すまない」 沈黙が流れる。 やがて、嗚咽を堪えるような声が聞こえてきた。「……菜央、凜が行きそうな場所に心当たりがあれば教えてほしい」『あの子がどうやって、どんな思いで東京に来たか知ってる?』「堂島との結婚式を蹴って、逃げてきたって。菜央に手伝ってもらったとも聞いた」『……それだけか?』「ああ」『なんで堂島の婚約を受けたか、聞いてすらないんか?』「……ああ」 スピーカーの向こうで、菜央が奥歯を噛み締めるような音がした。『あんた、凜と結婚して、これまで何してたんや』「凜が生活に苦労していることを知った。だから、俺にできることはしてきた――」『だから過去なんてどうでもいいって!? なんであの子が堂島なんかの婚約受けたと思って……』 菜央の最後の言葉は、嗚咽に混じって消えた。
障子の一部に嵌め込まれた磨りガラスから、朝の光が差し込んでいた。 凜は目を擦りながら布団の中から顔を出し、壁の時計を見る。 八時を少し回ったところだった。 日付が変わる頃には眠ったはずなのに、身体が重い。左耳の聞こえは相変わらず悪く、視界にも薄い靄がかかったようだった。「よいしょ……」 ゆっくり身体を起こす。 少しふらついたが、昨日ほどではない。――大丈夫。 まず、お金を下ろす。 それから病院。 もう一度耳を診てもらって、薬を出してもらおう。 その後で、住むところと仕事を探す。 見付からなければ他の街。 順番にやればいい。「うん」 一人で頷く。 洗面台で顔を洗い、髪を整える。 昨日と同じ服しかないのが気になったが、仕方がない。 部屋を出る。 受付で鍵を返しながら、凜は女将らしき女性に声をかけた。「あの、この辺に耳鼻科ってありますか?」「耳鼻科?」「はい。ちょっと耳の調子が悪くて」「それなら野比の駅前までいかないとないですね。ここから電車で二駅です」「……分かりました。ありがとうございます」「お身体気を付けてくださいね」「はい」 外へ出ると、昨夜とは違って遠くに青い色が見えた。 白波がゆっくりと押して、引いていく。――綺麗。 少しだけ足を止める。――まだ病院が開くまで時間あるよね。 海の方へ向かってゆっくりと歩いていく。 細い道路を抜けると、目の前いっぱいに海が広がった。 海面に陽光が反射して煌めいている。 堤防の手摺に肘をつき、体重を預ける。――海、いいなぁ。 ぼんやりとこの街で暮らす自分を想像する。――うん、仕事さえ見付かれば何とかなりそ
電車の窓の外を、知らない街の灯りが流れていく。 凜はシートに深く腰かけ、窓に頭を預ける。 規則正しい揺れが心地良い。 ゆっくりと目を閉じる。 何本乗り継いだのか、もうよく覚えていない。 ただ、東京から離れなければと思った。 駅に着いて、行き先も見ず、ホームに停まっていた電車に乗った。 途中で路線を変えて、また適当に乗った。 行き先なんて、考えるのも億劫だ。 電車が減速する。『間もなく――』 車内アナウンスが流れる。「……え?」 凜は顔を上げた。 駅名が聞き取れなかった。 右耳に意識を集中して、少し首を傾ける。 もう一度流れたアナウンスで、どうにか聞き取った。 知らない駅名。――ここで、ええか。 深い理由なんてない。 ただ、知らない場所なら、理玖にも見つからない気がした。――理玖。――そろそろ帰って来て、うちがいないことに気付いたやろか。 その先を考えようとして、頭を小さく振る。 電車を降りると、湿り気を帯びた夜風が髪を揺らした。 知らない駅。 知らない街。 知らない人たち。 誰も凜に目を留めない。 そのことに、ほっと息を吐き出す。 駅を出て、周囲を見渡す。 街灯はまばらで、行き交う車もほとんどない。 どこからか潮の香りが漂ってくる。「……お腹、空いたな」 ぽつりと零した声が、夜に解けていった。 灯りの見える方へ歩いていく。 数分歩いたところで、まだ暖簾の出ている小さな居酒屋が目に入った。 店内を覗く。 客は二人だけ。 カウンターの向こうでは、年配の店主が黙々と皿を洗っている。――ここでええや。 引き戸を開けると、店主が顔を上
警察署に着いた時には、二十時半を回っていた。「奥様が家を出られたのは、十九時四十二分頃で間違いありませんか」「はい。マンションの防犯カメラで確認してもらいました」 机を挟んだ向かいで、警察官が手元の用紙に書き込んでいく。「最後に連絡を取ったのは?」「昼過ぎです。メッセージで」「内容は?」「これです」 理玖はスマートフォンを差し出して、メッセージのやり取りを見せる。『大丈夫。今日は少し早く上がりました』 たったそれだけ。 その時は、こんなことになるとは思ってもいなかった。「ご自宅に携帯電話を置いていかれたんですね」「はい」「他に、普段使っている物で置いていったものはありますか?」「結婚指輪と……ネックレスも」 言葉にした瞬間、握り締めたネックレスの感触が蘇る。 まだ温かかった。――俺がもう少し早く帰ってくれば。 今更そんなことを考えても仕方ない。 理玖は小さく頭を振った。「大きな荷物を持って出た形跡は?」「ありません。財布くらいだと思います」「ご本人の意思で家を出られた可能性は?」「……あると思います」 理玖は眉を顰めて答えた。「理由に心当たりはありますか」「あります。これを見てほしいんです」 理玖はスマートフォンを操作した。 あのアカウントを開く。『ヒント3八年前、娘は堂島電気株式会社の御曹司との結婚式当日に姿を消した』 警察官が画面に目を落とす。「妻の過去を、匿名のアカウントが何日か前から投稿しています。今日、ここまで出た」「他の投稿を見ても?」「はい。お願いします」 警察官がスマートフォンを受け取り、画面をスクロールする。「奥様はこの投稿を?」「見たかどうかは分かりません。ただ、家を出る直前に
「山下の件、報告が上がりました。少し動いたようです」 高遠希美の言葉に、理玖はパソコンから顔を上げた。 時計が十九時半を回っている。 窓の外には、すっかり暗くなった東京が広がっていた。「何が分かった?」「白川のシステムに関わっていた外部業者との繋がりは、やはりありそうです。ただ――」 希美が手元の資料を一枚めくる。「本人まで辿ろうとすると、妙に痕跡が薄いんです」「どういう意味だ?」「意図的に消しているのか、それとも最初から表に名前を出さないようにしていたのか。そこまではまだ」「……面倒だな」「はい」 理玖は背もたれに身体を預けた。 白川のシステム自体は復旧した。 けれど、誰が何のために仕掛けたのかは、まだ見えてこない。 その上、ここ数日、他の取引先への対応に追われ続けていた。 デスクの端に置いたスマートフォンが目に入る。「……もうこんな時間か」 画面を点ける。 凜からは、『大丈夫。今日は少し早く上がりました』と来てから連絡はない。 そこで、例のアカウントを今日は一度も確認していないことに気付いた。――なんとかすると言ったのに、何やってんだ。 SNSを開く。 例のアカウントを表示した瞬間、理玖の表情が変わった。『ヒント2実家は八年前に没落して、今は見る影もない』『ヒント3八年前、娘は堂島電気株式会社の御曹司との結婚式当日に姿を消した』 コメント欄に目を通す。「なんだ、これは……」 堂島尊、凜の元婚約者。 理玖が無意識に避け続けていた、当時の記事のリンクまで貼られていた。「あいつ、それが分かって俺たちをパーティーに呼んだのか……?」『黒瀬社長は、良いご縁を得られましたな。実に|羨《うらや